讃美歌への想い    川上 範夫

信徒にとって、求道者にとっても、聖日礼拝に出席することは大きな喜びである。熱心な会員だった根本静江さん(平成11年、91才で召天)が「私はね、日曜礼拝に出席するために、あとの6日間は体調を整えているのよ」と言われたことが、今は、よく分かる気がする。

私は礼拝に出席する時、ここには変わらぬものがあると感じる。私が学生だった60年前、この教会を初めて訪ねた時も今も同じ礼拝が守られていた。この間に私達をとりまく社会はどれ程目まぐるしく変化したことだろう。礼拝は説教が中心であるが、私には会衆が声を合わせて歌う讃美歌が礼拝堂にあふれる時特に喜びを感じる。

話は変わるが、去る7月下旬、羽村教会の会員だった女性と60年ぶりに電話で話した。彼女は、むさしの教会に頼んで新しい讃美歌を入手できたと感謝していたが、昔話の後、「新しい讃美歌は番号がすっかり変わったのね。戸惑ってしまった」と言った。私は、ふと、自分達が青年時代、主な讃美歌は番号で覚えていたことを思い出した。○○番といえば、そのメロディーも歌詞も頭に浮かんだものである。最近は讃美歌の種類が多く、○○番といっても、それはページをめくるだけのものになった。

私は礼拝で古い讃美歌(日本基督教団、昭和20年代刊)を歌う時、なぜか胸が一杯になる。これは感傷なのだろうか。神学者の北森嘉蔵先生は、日本人クリスチャンの特徴は「一種のはにかみ」だと言われたが、感傷もそれに類するものかもしれない。
戦後、日本ではキリスト教文化が多くの人々に親近感をもたれ、遠藤周作はじめキリスト教作家の読者層は厚く、バッハやヘンデルのファンは多い。だが、ごく少数の人々がキリスト教を信仰として受けとめ、教会の門をたたいた。そして、その人達が最初に出会ったものが讃美歌だったのではないだろうか。

聖書についていえば「新共同訳聖書」がすっかり定着した。それにしても、あの格調高い文語体聖書はどこに消えてしまったのだろう。だが、古い讃美歌は歌詞も全て文語体で残している。この歌詞は聖書のみ言葉と同じように心に響いてくる。
私は、ただ、昔をなつかしむという思いはないが、あの古い讃美歌は、敗戦後の混乱した時代、教会に集った青年達の心にしっかりしみこんだものだったのである。

-むさしの教会だより第434号  2011年 11月 20日発行-