『キリスト教カウンセリング講座ブックレット6』




共著:大柴譲治「聖書におけるスピリチュアリティー」、賀来周一「スピリチュアルケア」




書評:石居基夫(ルーテル学院大学准教授、武蔵野教会前牧師)
(『本のひろば』2011年6月号より)

現代の日本ではスピリチュアルなものへの関心が非常に高い。欧米においては70年代頃からニューエイジ・ムーブメントが起こり、それまでの西欧世界における理性的精神や科学的世界観への行き詰まり感が表されるようになる。反科学主義や東洋的神秘主義、あるいは理性を超えた超自然的なものへの関心が高まりを見せてきた。その影響下にあって、日本ではオカルト的なものまで含めて、人間の理性や科学を超えた「精神世界」というものがブームになり、90年代前半まで「心の時代」、「宗教の時代」だと叫ばれた。オーム事件以後、「宗教団体」への警戒は強いが、この「スピリチュアリティー」を求める時代の流れは、商業主義を巻き込みながら今や新しい「癒しの文化」をさえ生み出していると言ってよいだろう。

そういう時代だからこそ、教会は「スピリチュアリティー」を求める人々のニーズに向かい合って、聖書に基づいた確かな言葉を持たなければならない。本書の出版は、その意味で非常に意義深い。

大柴譲治氏による第I部、「聖書におけるスピリチュアリティー」では、「創世記を手がかりとして」聖書的人間論に基づき、私たちの「スピリチュアリティー」とはどのようなものかが明らかにされる。現代人のスピリチュアルなものへの渇きの由来は何か。つまり、この一連の「スピリチュアリティー」を求める精神的、文化的なムーブメントそのものが、いったいどういう現象であるのかということを捉える分析的視点が聖書に基づいて示されてくる。神からの呼びかけに基づく「超越的スピリチュアリティー」と人間における応答としての「内在的スピリチュアリティー」、そして人生の終わりに神の救いの出来事を捉える「終末的スピリチュアリティー」という三つの視点は、単に人間の中にある宗教性という一般的なものとしてではなく、神との関係のうちに私たち自身の存在を捉えていく聖書的スピリチュアリティーの本質を的確に示していると言えるだろう。

賀来周一氏による第II部は、そうした聖書的スピリチュアリティーの理解に基づきつつ、臨床牧会の立場から、今最も関心の高いスピリチュアルケアについて論じられる。今日、終末期医療の現場はもちろん、高齢化し、「孤族の国」と呼ばれるような日本の社会では、自分の死や愛する者の死という問題に新しい形で直面させられる。豊かで便利な物に囲まれ、施設や社会的な仕組みを整えても、人間の生の意味を問い、苦しみや悲しみの前にたたずむ私たちは、支え合う絆や習うべき模範も、頼るべき何ものを持たずに彷徨っているのかもしれない。実際の牧会の現場では、そのような「生きること」、「存在すること」の根源的な問いや痛みに出会うのである。いったいそこにはどのような痛み(ペイン)があり、私たちは何を携えてその一人ひとりに関わる(ケアをなす)ものであり得るのだろうか。聖書が語ること、特に十字架の苦しみを生き、死んでくださったキリスト、そして復活の信仰の意味を改めて知らされる。

実際の牧会の現場で、多くの方々の死を看取り、また天国に送られてきた賀来、大柴両氏の牧師としての豊かな経験に裏打ちされた本書は、キリスト教信仰を軸にしているけれども、宗教や信仰の如何に関わらず、あらゆる人々にとって避けることのできない「生きること」、「死ぬること」の問題、また、そこに関わる援助とは何か、何が必要なのかということに大きな気づきを与えてくれる。気休めの「癒し」ではなく、真の「救い」を求める私たちのただ中に、キリストご自身がおいでになり、共にいてくださるという神ご自身のケアに生かされていく者であることを分かりやすく説いている。「死からいのちへ」という希望の筋道をキリスト信仰に見いだしたルター神学を実践的に展開する本書は、死の向こうにある復活が私たち自身の物語(出来事)となる信仰へと導くだろう。



「聖書におけるスピリチュアリティー」「スピリチュアルケア」






共著  大柴譲治・賀来周一






CCCブックレット6に込めた思い        大柴譲治

「苦しみながら読み、読みながら苦しんだ。実に役に立った。ありがとう」。これは私の神学校時代の恩師・小川修先生(宗教哲学)が癌で天に召される二週間ほど前に聖路加国際病院のホスピス病床において、苦しい息の中で私に伝えてくださった最後の言葉でした。私のブックレットの原稿を先生に病床で読んでいただいたのです。そして先生は私に握手を求められました。その声と手の温もりを私は生涯忘れることはないでしょう。

死を前にして何が真に役立つのか。それはやはり、神の御言葉・御声しかないと思わされています。キリストのリアリティー、キリストのリアルプレゼンス、「キリストのまこと(ピスティス)」(小川修)と言ってもよいでしょう。私は1986年に牧師としての教職按手を受けてちょうど今年で25年となります。これまで私が牧師として出会い、見送ってきた100人ほどの方々のお顔を走馬燈のように思い起こしながらこのブックレットは執筆されています。それらの出会いと別れの中で、私自身に慰めと励まし、戒めと希望を与えてくれた聖書の御言葉について率直に記すことができたのではないかと思っています。限られた時間の中でしたが、祈りつつ書いては消し、消しては書きという作業を積み重ねました。

受胎告知の場面でしょうか、ブックレットの表紙に天使の絵が描かれていることも嬉しく思います。マリアのように「お言葉通り、この身に成りますように」と応えてゆければと願っています。生きてゆくことの悩みや悲しみ、苦しみや行き詰まりの中にある人たちへの、ひとつの小さな贈り物としてお読みいただければ幸いです。s.d.g.

キリスト新聞社、2011/2/21出版、 税込み1785円