『むさしの教会の彫刻(山本常一作)』 河野 通祐

建築家河野通祐兄と彫刻家山本常一氏による解説です。




日頃あまり気にもとまらないと思いますが、むさしの教会の会堂には彫刻家である山本常一さんが創られた立派な芸術作品があちこちにあります。鳥の彫刻家として有名な山本さんが何故むさしの教会に作品を残して下さったのか、ここにそのいきさつや作品の内容について、竣工当時の『藝術新潮』に書かれたものを紹介したいと思います。日頃見慣れていますと関心も薄らぎがちですが、むさしの教会の美術作品として大切にして戴きたいと思うからです。




山本常一さんのお話  「ノアの箱舟」
事と次第によっては思いもよらぬ事のお鉢がこちらに回ってくるということもあるだろうが、終生縁なき事と想像すらした事のない出来事が実現したのが、今度の教会の仕事である。

信者でもない私がキリスト教会の会堂に彫刻の仕事をする事など夢にすら見たこともない事であった。古い知り合いの青山牧師から今度自分たちの新しい教会が出来る事になったとうれしい話を聞かされた。古くヨーロッパでも、また、アメリカでも数多くの芸術家が教会の建立のために参加して、いい仕事を残している事を想い出した。私は偽らぬところこのような教会に自分の彫刻をとりつけてみたいと考えてはみたが、到底不可能であろうとあきらめていた事は前述の次第であるが、作ってみたいという気持ちのある事は意思表示した。青山牧師は芸術に対して深い理解と愛情を持って居られ、優れた芸術家が家系に居られる方である。特殊なくさみのある宗教家でなく、人間的にも温かい親しめる方で私など何でも話す事が出来た。新しく出来る教会に彫刻をする事が青山牧師から私に話があり、思いもかけない教会の仕事が出来る事で私は感激した。大勢の人達の集まる場所に私の仕事で奉仕できる事のよろこびで胸がふくらんだ。だが一面キリスト教徒でもない私には時に耳にし、折にふれて目にとどめた程度の教会というものに対する知識というには余りにもとぼしいものであり、無と言う方が正しい位のものでしかない事に不安を感じた。私が鳥を主題にした「父子デッサン展」を銀座のN画廊で開いている時、青山牧師と益田牧師、それに建築家の河野氏が新しい教会堂の青写真を持って来場されいろいろと説明を伺い、打ち合わせをして教会堂の彫刻を私がやる事に本決まりとなった。

仕事は教会堂外壁のレリーフ、内部のレリーフ、聖壇、司式台、説教台、正面の十字架、燭台等である。河野氏は勿論、両牧師の御協力を得て、題材の選定をし参考資料の提出を願う事になった。私は仕事が出来る喜びで準備に入った。彫刻の仕事に対しては何の制約もなく、自由に思うがままにやってくれとの事だったので、その点大変理解のある有難い事であった。何をモチーフにするか、どんな材料をつかうか、どの様な方法で作るか、あの手この手と自分の力で出来上がるであろう可能範囲を上回った計画の夢が次から次へとふくらんだ。

半年が流れて年の暮れに起工式が行われた事を風の便りで知ったが年があけても彫刻の事についての連絡もないので、仕事は中止かと思って問い合わせたら、やるのだという返事だったので工事現場に出かけたら、外壁は荒壁までだったが、感じのいい、すっきりとした美しい教会堂が八分通り出来上がっていた。完成の見通しもついたので、献堂式の日取りも大体目星がついたとの事であった。さあ大変で、私の彫刻のために迷惑をかける様な事があってはならない。うかうかしては居られない、ふくらんだ夢のプランを実行に移さねばならなかった。

私は教会堂が主に仕える人々にどの様にして使用されるのかを知らねばならないと考え、神学校の礼拝堂での礼拝に参加した。生まれて初めて自分の意志でキリスト教会の礼拝に参加するのである。

聖書と讃美歌の本を手に私は信者に混じって式に列した。何もわからないのだが、ただこの礼拝に参列するという率直な心で教会の仕事をしたいと念じたからである。讃美歌で始まり、式は順序よく運ばれて、何もかも初めての体験である私には勝手の違った道への興味に引きずられた。だが教会というもののあり方については、身体全体でじかに何かを感じた。式の終わりに回って来る献金袋が何のためなのかすら知らなかった私であったが、人々のあつい祈りをこめて、真剣な敬虔に満ちたふんいきは充分に私の心を打ち、人によろこばれる立派ないい仕事をしたいと心の中に刻みつけた。

外壁のレリーフのモチーフについて青山牧師よりいろいろと話を伺って、聖書の中から選ぶことにした。聖書の中の物語には人間、ケモノ、トリとありとあらゆる生物が出てくるので選び出すのに迷うくらいであったが、四福音書記者マタイ(青年)、マルコ(ライオン)、ルカ(牛)、ヨハネ(ワシ)。種蒔き(荒野の一粒)(道端の一粒)(イバラの中の一粒)(豊かな実り)。五つのパンと二匹の魚。鹿が谷川の水を飲む。ノアの箱舟。エデンの園。エリアの話(老人とカラスとパン)。以上の様なものを候補にあげていろいろと案をねることにした。どのモチーフも私には充分興味はあったが結局「ノアの箱舟」を選ぶことにした。エリアの話の中でのカラスは老人にパンを運んで死より救った善良な鳥として伝わっているが、日本ではカラスは嫌な鳥と昔からきらわれているのに比べて、日本のカラスは不幸な鳥だとおもった。

「ノアの箱舟」はいろいろの動物がトリ、ケモノは勿論のこと、生きもののすべては一対ずつ登場するわけでどのようにトリやケモノを組合せても自由なので、私にはうってつけのモチーフだと思った。適当にトリ、ケモノを選んでうまく配置できれば面白いものが出来るのではないかと信じた。私なりの解釈で「ノアの箱舟」を作ってみる事に決めた。

外壁の広さから考えて3尺に8尺位のレリーフを作る事を割り出したが、風雨に直接さらされるのでセメントで仕上げる事にした。だがこれだけの大きさのセメントで作ったものの重量は相当のものなので、四つ位に切って作る事にした。トリだけの図柄のもの、ケモノだけの図柄のもの、魚の図柄、箱舟、と四つのブロックにした。トリとケモノのレリーフはたて長のものにした。トリの図柄には、ダチョウ、ゴイサギ、カラス、アヒル、キジ、ニワトリ、ウズラ、ホロホロ鳥、と二羽ずつ並んで飛んでいる小鳥を六羽。ケモノの図柄には、キリン、ラクダ、ウマ、クマ、リス、イヌ、ウサギ、ネズミ、と一対のコウモリを扱った。それぞれトリもケモノも一対のものである。魚は、波から顔を出しているポーズで二匹を一列ににして二組つくった。箱舟は粗末な板で作られた様なものを作った。このレリーフは日光の直射を受けるので厚肉にし、影で形がくっきりと浮かび出ると思ったからである。表面は出来るだけデコボコを少なく仕上げてみた。

教会の門から入口までの通路が丁度外壁にそっているので「ノアの箱舟」のセメントレリーフのついた次の壁面に鉄線で作ったトリを取りつけた。教会に集まる人達が楽しく親しくトリやケモノ達に迎えられている様に温かいものを感じ取って頂ければと思う。

教会堂内部の正面の十字架にはブドーの図柄を彫り合金を象嵌した。このために入手した切れ味のいい彫刀で夜明け近くまで仕事をつづけて三日目に出来上がった。人々の祈りをうけるものと私は一刀毎に誠をこめ、祈りつつこれを作ることの喜びに満ちて作り上げた。感激しました。

十字架は床から天井までつき抜けたステンドグラス窓に取りつけられ、シルエットとして美しく浮き出している。この十字架に向かって右側の大きな壁面には大きく飛ぶ鳥のレリーフを壁面より浮かび出して取り付けた。同じく左側の壁面には四羽の鉄線のトリを配置して取り付けた。聖壇の正面に小羊を刻み込んで取り付け、六基の燭台もブロンズで作った。司式台の正面にキリストのXPを、説教台の正面にはイエスのIHSを鉄板を切り抜いて取り付けた。これらの彫刻的な仕事が教会のために私が奉仕したもので、とにかく曲がりなりにも献堂式の前日に取り付けが終わったという忙しい仕事であった。

私は生来動物が好きであったが、ここ十年以上も鳥ばかりをモチーフにして作品を発表してきた。考えてみると自分の彫刻的な発想のために鳥を選んでいたのに過ぎないが、今度の教会にこれらの鳥を数多く壁面に取り付ける事によって、楽しまれ、親しまれ、喜んでいただけた事は幸いであった。不十分なところもあり、出来映えの如何についても時間的な制約と限られた条件の中で一応の形をととのえた事はうれしい事であった。キリスト教では鳥は信徒を表すシンボルとかで、鳥の彫刻が数多く教会に取り付けられる事が許されたのも私にとって此の上もない幸いであった。

教会の彫刻を作った事を知った親しい友人が、シャガールだったかが、教会の絵を描いたとき、ピカソだったかが、罰が当たるぞと言ったという事を本で読んだと、善意に満ちた笑顔で私に話した。教会の仕事をした事は私にとって大それた事であったかも知れないが、人々より喜びと感謝の言葉をうける時、私は彫刻家としてささやかながらも役に立つ事の出来た仕事をした事が、本当によかったと胸が脈打つのである。マチスがヴァンスに教会を建てたが、それはこの巨匠の芸術の結晶ともいうべきものであろうと思われる。人々のためにマチスが捧げた心境が判るような気持ちである。笑われるかも知れないが。




山本常一氏がむさしの教会に捧げて下さった情熱は三十年を過ぎた今日でも私の胸に闡明に浮かんで来ます。私も青山先生と一緒によく山本氏と会って、キリスト教のシンボルや美術について話し合いました。いろいろな話の中で山本氏の構想がまとまっていったものと思います。それにしましても最も心を入れ、情熱をかたむけて作って下さった十字架が見当たらなくなった事が残念でなりません。また鉄線で作られた鳥の影もなくなりました。正面の壁の右側のレリーフは薄いピンクで立体感が出ていましたが、現在は真っ白で平面的になりました。作家が心を通して表現した作品がその意味も理解出来ずに姿が消されたり変えられたりしてゆくのを眺め一抹の不安をおぼえます。礼拝堂の壁が掲示板になったり、聖餐卓である聖壇が古着の山積みになったり、無双窓が安易にアルミサッシに代えられたり、建築は思想である、と言ったことの空しさも感じます。山本常一さんには教会の仕事が終わって直ぐ、立教女学院の小学校の中庭に子供達の遊具として銀鳩の彫刻をしていただきました。今でも楽しく、大切に扱われているのを眺めホッとしています。

(むさしの教会だより 1988年2/3月号)