教会と歴史(16) 石居 正己




むさしの教会元牧師、ルーテル学院大学・神学校元教授(教義学、キリスト教倫理)の石居正己牧師による受洗後教育講座です。




 2.東西教会の分裂

 ところが、それに余り賛成しなかった人々もおりました。それはコンスタンティノポリスの大主教を始めとする東方教会の指導者たちでありました。コンスタンティノポリスと言えば今のトルコのイスタンブールです。ローマ皇帝はローマから此処に都を移しましたし、東方にはエルサレムやパウロたちが懸命に伝道した地方が含まれます。ローマより古い伝統を誇る東方の教会は、いろいろな実際的なやり方も西方と違いましたし、より古い伝統を継ぐという自負もあったのでしょう。ローマの主導権に反対して、7、8世紀の頃からごたごたが続きましたが、11世紀には東西の教会が別れてしまいます。西方の教会はローマを中心としました。東方の教会はその国々でまとまりをもっているようになりました。私たちは東方教会のことを「ギリシャ正教」と呼んだりしていますが、狭い意味ではギリシャ正教会はギリシャの教会です。広い意味で使う「ギリシャ正教」の中にはロシア正教会も入ります。具体的な教会のまとまりとしては、ギリシャはギリシャ、ロシアはロシアというように、それぞれ頭になる指導者がいます。ただギリシャ的な伝統を引いているという意味で、広い用語が使われる場合もあるのです。

 一般的に言えば、東方教会は神秘主義的で礼拝儀礼を重んじます。礼拝の度毎に、キリストの一代記を演じています。日本の東方教会と言えば、お茶の水にあるニコライ堂が思いだされるのですが、たいへん保守的な面があって、明治初期の翻訳語をそのまま用いていて、たいへん分り難いのですが、同じようにいたします。東方の必ずしも教育も行き渡らなかった地方で、あるいは迫害も受けた中で、彼らは礼拝の中でキリストの一代記を演ずることによって、人々の心にイエスさまの出来事を再現させたのです。単に覚えるというだけでなく、それに自分たちも与っていったわけです。また東方教会では具体的な特徴として、画像を使います。イコンという特別な手法で描かれた板絵です。板絵と言っても必ずしも平板なものでなくて、凹凸のあるものにしてあるのですが。それを通して聖書の出来事、あるいは信仰の先達たちの歩みを記憶するというわけです。実際的には、いくらか迷信的に受け取られている傾きもないわけではありません。こうした仕方で、民衆の心に深い影響を与えてきたわけです。共産主義の政権の時代は長い歴史のひとつのエピソードに過ぎないのかもしれません。いつもいろいろな問題の中を潜り抜けて来たのです。今は政権が変わって、猛烈な勢いでその力を回復して来ているようです。(続く)

(1997年 6月)