教会と歴史(3) 石居 正己




むさしの教会元牧師、ルーテル学院大学・神学校元教授(教義学、キリスト教倫理)の石居正己牧師による受洗後教育講座です。




(承前)多分それに似たことで、皇帝の蔵に収めて頂いたということで、お経が権威付けになったりしたわけです。しかしそれが本当にお釈迦さんの説教、或いはお釈迦さんのことを直接に記したものかどうかは、大変疑問で、よく分かっておりません。歴史的な確実さということは、余り問題にされていないのです。

そういうことと比べて考えると、「キリスト教はうんと歴史にこだわっているな」という気がするのです。聖書も部分的にはいろいろ検討されてきた面がありますしその解釈については異なる意見もありますが、しかしキリスト教会はみんながこれを基礎にしています。それは仏教において、法華経を主たる経典にする教派、阿弥陀経を主にしている所などと、直接の基にするお経が必ずしも同じでないことと比べると大変違います。

訳は違う場合がありますが、キリスト教会はカトリックに行こうと正教会に行こうと、どこに行っても同じ聖書を基本にします。それはキリスト教の大変大切な特徴といってよいでしょう。つまり聖書が「正典」であるからです。歴史における神様の働きを基とするから、それを伝える聖書が基となる。その聖書を歴史的に取り扱ってきたというわけです。

B.歴史的建造物としての教会とその礼拝

昔の歴史の時間には、奈良時代、平安時代、あるいは江戸時代などと、時代を区分けして、それぞれ違う色で塗ったりして、年号や出来事を書いたりしたものです。いまはどのように学んでいるのか知りませんが。しかしその時代区分はたいてい政治の区分です。都がどこにあったとか、誰が政治の実権を握っていたかとかということになります。(続く)

(1995年 6月)