説教 「我ここに立つ」 石居基夫

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。




宗教改革主日

 ヨハネによる福音書 2章13~22節

 「我ここに立つ」。ルターが帝国議会に於いて、自説の撤回を求められたとき、これを決然と拒否して、最後におそらくそのように言ったとされている言葉であります。宗教改革者マルティン・ルターは、1521年に行われたウォルムス帝国議会に於いて、自らの信仰的立場をよりはっきりと告白しなければなりませんでした。

 すでに、彼は1517年10月31日にヴィッテンベルクの城教会に95箇条の提題を掲げ、当時の教会のあり方に対していわば討論の呼びかけをし、そこで彼自身の信仰を表明していたわけでありました。ご承知のように、これは当時広く行われていた贖宥券いわゆる免罪符の効力に対して、それを疑問視するものでありました。人間がその罪の赦しをキリストの恵みに於て受け取るにしても、それぞれに犯してきた罪の大きさ、度合いに応じて償いをしなければならないと考えられ、その償いはいわば天国とこの世の中間に位置する煉獄に於いて過ごすことによってなされると考えられていたわけであります。人はそれぞれにこの煉獄にある期間が罪の度合いとまたその人がどれだけ良いことをしてきたかという事が秤に掛けられて決定されるとすると言うわけであります。教会は聖人と呼ばれる人々のすばらしい功績をあずかっているので、それを人々に分けることによって、多くの人々の煉獄の期間を短くすることが出来ると教えたのでありました。その具体的手だて、方法として行われたのが、贖宥券の、免償符の販売でありました。人々はこれを買うことによって、煉獄にいる先祖の魂を天国に送ることが出来ると教えられ、いわばこれを買うことによって慰めを得たと言えますし、また教会はこれによって財を得ることが出来たのであります。ルターは、この極めて合理的でわかりやすい考え方に対して反対の立場に立つことを表明したわけであります。つまり、本来人は自分自身の良き業、功績を積むことに於いては救われないのであって、ただキリストの恵みに於いてのみ救われ、慰められるのであるという福音的立場に立ったのであります。

 教会が永い伝統のもとに築き上げ、人々もそれを当然のこととしていた一つの救いの道に対して、キリストのみによる救いが示される。それはまさに今日の聖書の箇所に記されているとおりであります。イエス様は、人々が46年もの時を費やしてやっと建てた神殿を倒したなら、三日でそれを建てると言われたのでありました。それは、この人の手によって造られた神殿に変えて、ご自身の死と復活の出来事が救いの拠り所であるといわれたのであります。

 先日、こういうご相談を受けたのです。自分は取り返しのつかない失敗をして、人を傷つけてしまった。自分も大変苦しい立場に置かれているのですけれどもそれは仕方のないこと。けれど、自分は赦されるのか。

 聖書から知らされているとおり、この福音こそは私たちの拠り所であるわけですが、当時のローマ・カトリック教会に於いては、このルターの言うところは全く教会の教えに背くものといわれたのであります。そして、ルターに対してこの自説を取り消すように求めたわけでありました。そして、これに応じないルターが破門され、のちにルターにつくものたちは、ローマ・カトリック教会に抗議・反対するものとしてプロテスタント教会が生まれることになるわけです。ここに歴史的な大きな出来事が刻まれることになるわけです。

 しかし、もとよりルター自身にとって、この展開は初め予想だにしなかったことだと言わなければなりません。ルターは、むしろ彼自身の内面的な葛藤を通して福音を見いだし、これを明らかにしただけのことであったわけです。彼は、当時の修道院としては最も規律正しい敬虔なアウグスチヌス派の修道会にあって、熱心に修道の生活に努めていたのでありました。しかし、彼はそこで魂の平安を得ることは出来なかったのであります。そして、聖書を読み、教会の教えるところではなくて御言葉そのものが語りかけてくるところに聞き従い、そのキリストによる恵みを見いだしたのでありました。

 私たちは、宗教改革という言葉にともすると引きずられ、何か教会を変えることとか、新しくしていくというイメージに魅力を感じたり、実際それを求めたりいたします。確かに、宗教改革は、教会の諸々の姿を変えていったのですし、そうした運動の広がりが人々の心を捉え、動かしていったのです。礼拝のあり方や教会の活動ばかりではなく、教育を初めとする市民生活の様々なことがらにまで新しい取り組みがなされていきました。ルターはその指導的役割を持って、かかわりました。けれども、一番肝心なことは、この時に、キリストの恵みのみが生きることの拠り所であるという真実が、もう一度語り出されたという事であります。そして、またその恵みを受け取るのは、何か良い業をすることであったり、教会に献金を多くすることであったり、免償符を買うというようなことではなくて、生涯にわたる深い悔い改めによるということが告げられたという事なのです。

 私たちは、この時にもう一度この信仰の深みを心に留めたいのです。

「我ここに立つ」。

 ルターは、まさにここが、自分の立つところとして、当時の教会の強い圧力にも耐え、その自分の信仰告白を取り消すことをしなかったのです。それによって、彼は破門され、帝国追放の刑を受け、実際にいつその命を奪われるか分からない危険を身に引き受けることになったわけです。彼はたった一人でも、この信仰を表明し、恐れることなくその歩みを続ける覚悟を表したのです。それは、彼自身の強い確信というよりも彼を捕らえたキリストの力によるというべきであると思うのです。ルター自身の内面的な葛藤から始まった宗教改革の流れは、このキリストに捉えられたればこそ、彼一人の中に信仰が働いて恵みに生きることを得させたのみならず、むしろ、本当に多くの人々に伝えられたのですし、またそれによって大きなうねりともなっていったのであります。

  私の内面的出来事、私ひとりの問題ではない。
  他者への愛と奉仕。キリストの愛によって。
  それがキリストに捉えられた信仰に生きること。
  我ここに立つ。
     神に対する信仰の表明であると共に、私を人に示していくこと。

(1995年10月29日)