説教 「最高のハートフルプレゼント」 大柴 譲治

エゼキエル書 36:26

はじめ

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

心臓移植のドラマ

最近、1983年のクリスマスにカナダで観たテレビドラマを思い起こしました。St. Elsewhereというタイトルだったでしょうか、今で言えばER(救急救命室)とかシカゴホープとかいった社会派の病院ドラマでした。その中のあるエピソードを思い出したのです。

ドラマの主人公である一人の医師が若い青年患者の心臓移植手術を行います。心臓のドナー(提供者)は交通事故のために脳死状態になった一人の女性でした。運び込まれた心臓を用いててきぱきと処置が行われ、手術は無事成功します。

私はバンクーバーの近くの田舎町のルーテル教会で牧師となるためのインターン中でした。そこで車の免許を取った時、免許が送られてきたときのことです。事故で万が一脳死状態になった場合に自分は臓器移植のドナーになりたいという希望を持つ方はこのシール(確か丸い黄色いシールだったと思いますが)を免許の片隅にはっておいてくださいとあって、その事柄を扱うドライさにスッと血が引くような驚ろきを覚えたことを鮮明に記憶しています。心臓移植のことなど日本ではまだ話にも出ておりませんでしたから、ずいぶんアメリカは進んでいると思いました。

ドラマの話に戻ります。帰宅した主人公の医師を待ち受けていたのは警察官でした。彼の妻が交通事故にあって脳死状態となったこと。彼女は運転免許証にドナーシールをはっていたために、即座に臓器移植のためのドナーとなったこと。そのことを警察から告げられた医師は今日自分が行った心臓移植手術のドナーが実は、朝仕事に行くときに別れた自分の最愛の妻であったことを知って愕然とします。

彼は再び病院を訪れます。まだ麻酔で眠っている患者の傍らに彼は茫然自失の状態で座ります。病室には心臓の鼓動を伝えるモニターの音がこだましてゆきます。妻は死んだ。しかし妻の心臓は今も生きている。悲しみの中にも大きな余韻を残して、ドラマはそこでフェイドアウトしてゆきました。

それは私にとっては大変に印象的な場面でした。もう17年も経っているのですが、今でも私はその場面をはっきりと思い起こすことができます。愛する者の死と愛する者の一部分が他の人の中で生き続けてゆくということ。何という複雑な思いが残ることでしょう。

様々な議論を経て日本でもようやく1997年から臓器移植が始まりました。残された遺族に対するきちんとしたケアなどまだまだ課題が残っているように思いますが、インターネットで臓器移植を調べますと「命のリレー」というような標語で様々なサイトが検索できます。

最高のハートフルプレゼント

最近読んだあるクリスマスの物語に心を強く動かされたものがありますのでそれをご紹介させてください。これは実際にあった話です。

場面はアメリカカリフォルニア州。時は1980年の12月22日のことでした。心臓移植のために何ヶ月も待ち続けていた18歳の少年ダンにその夜、ドナーが現れたと病院から電話が入りました。彼はちょうどその時、クリスマスを家で過ごすために病院から実家に帰省していたのです。移植可能な時間は限られています。ハイウェイパトロールやセスナ機などの応援も得て、彼は病院に運ばれてゆきます。ようやく時間ぎりぎりに病院に到着します。何ヶ月も待ち続けた彼のために多くの人が祈りを捧げてきます。ラジオのニュースキャスターまでも彼のために祈るようアナウンスしてくれています。そのような中で移植手術は行われてゆきました。手術は成功し、ダンは快復に向かいます。

やがて応援してくれた人々からの手紙が続々と彼の元に届く。その中にはエゼキエル書の36章26節の言葉もありました。「わたしはお前たちに新しい心(ハート)を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心(ハート)を与える」。

手術に成功した彼は、本当に多くの人が自分のために祈り、支援をしてくれたことを知ります。彼のもとに激励と祝福の手紙が続々と届きます。やがてダンは一つの手紙を読んで胸が詰まります。改めてそれが最高のクリスマスプレゼントであったことを知るのです。その手紙にはこう書かれていました。

「親愛なるダンへ。私たちはあなたに会ったこともありませんが、主人も私も、あなたとご家族に大きな親しみを覚えています。それは、あなたに心臓を提供したのが、私たちのひとり息子のロイドだからです。あなたがロイドの心臓をもらってくださったことを知り、ひとり息子を失った私たちの悲しみはずっとたえやすいものとなりました。

愛をこめて。
ポール&バーバラ・チェンバース」

(『とっておきのクリスマスの話』、フォレストブックス、1997より)

神の独り子の誕生

これ以上の贈り物はないと思われます。「友のため命を捨てる、これ以上の愛はない」とイエスさまもおっしゃいました。

チェンバース夫妻のひとり息子は死ぬことによって別の少年に命を与えました。このことは私たちにクリスマスを祝うべき本当の理由を示しています。神の独り子イエス・キリストも、あの十字架の上に死ぬことによって私たち一人一人にご自分のハートをプレゼントしてくださった。それも永遠の命を生きるためのハートをくださったのです。これは最高のハートフルプレゼントです。私たちは独り子を賜るほどに私たちを愛してくださっている神さま。その神さまに私たちは感謝の祈りを捧げたいと思います。

悲しむ者の上に慰めがありますように。メリークリスマス。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2000年12月24日 クリスマスイブ音楽礼拝)