フィンランド・ルーテル福音協会(LEAF/SLEY) ソベリ宣教師

 

ビリピ・ソベリ(新札幌ルーテル教会宣教師、SLEY宣教師会副会長)

  初めのささやかな日

来年2000年、主イエス・キリストの誕生を祝う記念すべき年は、LEAFミッションの日本伝道100周年記念の年でもあります。

1900年の12月、若いWellroos 牧師家族と17歳の若い女性、E. Kurvinen 氏が日本に渡り、長崎で語学の勉強に励みながら、日本伝道の困難な道に踏み切ったのです。奥さんの病気、子供の病死、さまざまな困難の挙げ句 Wellroos 家族が二年後帰国することに至り、Kurvinen 氏がアメリカ人と共に佐賀で伝道活動を続けました。

1903年もう一人女宣教師のS. Uusitalo 氏が来日し、“これから”と思ったばかりの時、日露戦争が始まりました。フィンランド人でありながら二人は、当時フィンランドを支配しているロシアのパスポートを持っていたので、監視されるようになり、アメリカ人の伝道に害を加わらないようにを佐賀を離れることに決めました。

彼女達はまず東京に上り、そしていろいろと相談した結果、まだほとんど誰も伝道したことのない諏訪地方で開拓伝道を始めることに至りました。

1905年7月彼女達と長井あやという日本人の婦人伝道師が汽車に乗り、馬車に乗って諏訪に向かいました。諏訪湖が見えて来る、道端に故郷を思わせる白樺が生えているところで彼女達は思わずひざまずき、これは神さまから与えられた伝道地であることを感謝したという話を読んだことがあります。ところが、保守的であった諏訪地方で家を探すのは困難であり、「幽霊が出る」と言われた空き家を購入することに成功したのはやっとのことでした。そして、キリスト教禁止令の影響がまだ強かったせいか、青い目の外国人が植えた草木がぬかれ、屋根が壊されたこともたびたびあったそうです。

諏訪の宣教師館で始まった集会や礼拝に地域の人が一人や二人顔を出し、そして同年の11月伝道の初穂として吉田という青年が洗礼を受けました。

宣教師の数が増え、日本人の伝道師や牧師が育てられ、LEAFの宣教活動は諏訪地方から、東京と札幌におよびました。1913年このように生まれた「福音ルーテル教会」の最初の総会が開かれました。1940年までこの教会に2240人の信徒が洗礼を受けました。「誰が初めのささやかな日をさげすむのか」と預言者ゼカリヤの書に書いてある通り、神様はささやかな伝道を祝福して下さいました。

 

  再建の時代

戦争の敗北の時代が終わり、灰の中に隠され、見えなくなった福音の種が、神様の偉大な力の証としてもう一度芽生え始めました。フィンランドに帰っていった宣教師が日本に戻り、各地に散らばった牧師や信徒がもう一度集められ、困難の中に追いつめられた教会は少しずつ活動を再開出来るようになりました。

再建と同時に、新しい時代が始まり、各ルーテル教会間の共同活動は課題となりました。LEAFの伝道活動から始まった「福音教会」は、1963年に自立した「日本福音ルーテル教会」と次第に合同するということが決定されました。最初は福音ルーテル教会の各教会は「東信北部」(=東京、信濃、北海道部会)をなし、そして次第に一つの教会に成長してきました。現代、フィンランドから派遣されるLEAFの宣教師は日本福音ルーテル教会から任命を受け、教会が示すところで働いています。

 

  21世紀に向けて

およそ170年前、フィンランドのそれぞれの地域では四つの霊的な運動が誕生し、教会の活動を潤していました。その中で「福音運動」と呼ばれる運動は、主イエスのあがないの死と救いの喜びを伝え、そのしるしとして洗礼を大切にしてきました。また信徒教育に励み、マルチン・ルターの著作を翻訳し、出版する活動に専念しました。この運動の本部として、1873年フィンランド・ルーテル福音協会(Lutheran Evangelical Association of Finland)が創立されました。

自分だけで喜ぶのではなく、まだキリストを知らない国でも伝道しようという思いでLEAFは、日本、そしてアフリカのケニヤ、カメルンとサンビアに宣教師を派遣し、その他の外国教会も支援しています。国内活動では、聖書教育、青年伝道、音楽活動に励み、アルコール中毒その他社会問題と関わっています。

2000年とは、主イエス・キリストの誕生を覚える記念すべき年であると同時に、LEAFにとって日本伝道の100周年記念を祝う喜ばしい一年でもあります。日本からLEAFの夏大会に出席する旅行団を送り、またフィンランドからの旅行団も日本に迎える予定です。詳しいことについては後ほど各ルーテル教会で案内をいたします。

私自身は今、フィンランドの宣教師が開拓伝道を始めた札幌で教会の仕事をさせていただいています。ある日私が疲れていた時、一人長い間教会生活を続けてきた信徒が言いました、「あなた方フィンランド人の宣教師を通して私たち日本人に与えられた祝福は大きい。」このような感謝の言葉に大いに励まされました。日本福音ルーテル教会はまだまだ小さいし、私たち宣教師たちの数も少ないけれども、前向きに一歩一歩と歩みながら伝道を続け、一人でも多くの日本人にイエス・キリストの愛を伝えたいものです。

(2001年 3月号)