善悪を知る木~りんごとあんず(2)   池宮 妙子

 りんごは有史以前から人間の食用になっていたことは、スイス地方で発掘された先住民族の遺跡の中に炭化されたものが発見されていた事で証明されています。コーカサス、小アジア地方が原産地といわれています。4~6世紀のゲルマン民族の移動によって、野性のりんごは、西は欧州、東はインド北部を経て中国に入ったものと考えられています。

 現在でもカスピ海と欧州の間に野性のりんごが見られるそうですが、果実は3~5cmの小型で、酸味が強く、渋味があり、トリストラム氏の『聖書の植物誌1867年』には″木のように固い、ひどい果実″と。また植物学者ポスト氏は、パレスチナ、シリヤ、シナイでは野性のりんごは見かけなかったと記されています。欧州中部以北で、りんごの選択、改良が積み重ねられ、その栽培が盛んになったのは16世紀以後だそうです。

 あんずの原産地は中国北部です。アレキサンダー大王が、アジアからギリシャに持ち帰ったBC300年が最初で、その後BC100~200年に欧州に伝来、アルメリヤ地方で栽培され、南欧にひろがりました。開花二か月後に結実し、球状の果実が熟すと赤味を帯びた黄色になります。樹冠は円く、高さは 5~10m。トリストラム氏の『聖書の博物誌』には″あんずは聖地に非常に多く、聖書の句にあるすべての条件を満たす唯一の木″、″いちじくを除いて、国中で一番豊富な果実。高地にも低地にも、地中海沿岸、ヨルダン河畔、レバノン高地のふもと、ガリラヤのくぼみに繁茂して、我々は大いに喜んで、その木陰に何度もテントを張った。果実は美味、香りはリンゴのよう。金色の果実が実った枝は「金色のりんご」のよう、青白い葉は「銀の鈴」よう″と記されています。キプロス島のあんずは、今でも「金色のりんご」として知られています。

 日本では長野県中心に各地で栽培され、杏仁(きょうにん)水、杏仁油に利用されています。りんご:Malus pumild Mill. ばら科。あんず: Purnus armerica L.

(2000年 4月号)