「読書会ノート」 塩野七生 『悪名高き皇帝たち』

  塩野 七生 『悪名高き皇帝たち』(橋本治編)

堤  毅

 

塩野さんの「ロ─マ人の物語」が、古代ローマの歴史という直接わが国の現状とは結び付かない作品でありながら、日本の金融人はじめ各階層で広く読まれていることを聞き、その理由がどこにあるかを知りたいと予てから考えていた所、今回第VII巻が取り上げられる事になった。

 

直参考までに既刊8冊の内容を分類すれば次のようになろう。

歴史中心   ─第II巻 ハンニバル戦記
第IV巻 ユリウス・カエサル ルビコン以前

危機対処法  ─第III巻 勝者の混迷
第VII巻、第VIII巻 危機と克服

天才とは何か?─第V巻 ユリウス・カエサル ルビコン以後
第VI巻 パクス・ロマ─ナ(ローマによる平和)

 

さて、第VII巻「悪名高き皇帝たち」であるが、これはロ─マ帝政第2代皇帝ティベリウスから第5代暴君ネロまでの歴史物語である。

塩野さんは先ず歴史家タキトゥスがいずれも酷評した四人の実績を調べ、その中でティベリウスと第4代クラゥディウスについては善政を指摘している。第3代カリグラとネロについても治世当初にはまともであったと述べ、余りにも人口に膾炙した悪逆な失政については淡々と述べている。

 

特に本書が私たち基督者にとって関心があるのは、今から丁度二千年前後のキリストの生涯との関係である。処刑の年は明記されてはいないが、ポンテオ・ピラトは実在し失政の為ユダヤ総督の地位を追われている。(キリスト処刑の為ではない)

席上大柴牧師が指摘された様に、使徒信条にマリアとピラトという唯二つの固有名詞として記されていることがキリスト教の歴史的真実性を示している。

次にキリスト教徒迫害についてであるが、ローマ帝国は諸民族固有の神々を拒絶しない─即ち「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」─という統治政策であった。選民思想で他民族との同化を拒絶するユダヤ人を属州化して統治した。

しかしキリスト教徒の聖餐は「いけにえ」であるとして嫌悪し、更にユダヤ教徒と異なり他民族への布教に熱心な点は「反ロ─マ的」であるとして弾圧され、後年202、250年代、303~323年 AD にかけて迫害された。(64年ロ─マの大火の際はネロにより放火犯にされた。)

 

最後に塩野さんの戦争観・植民地統治の考え方であるが、「歴史は侵略の歴史でもある」と述べている。また戦訓から軍事力を使っての制覇行は、短期に大軍を一時に投入すべし(日中十五年戦争の悪例を想起)。更に日本は朝鮮や台湾の人々に帝国議会の議席を与えなかったとか、思い切った発言が散見される。

 
 当日の諸姉の感想
「ロ─マの社会が市民も元老院も皇帝も大変成熟した人達であった事に驚かされた。彼らの執政は現代人にも立派に通じるものではないか?その社会の中でユダヤ民族はいかにも異質に見える。それに対してロ─マ社会はよく付き合ってきたと思う。後世キリスト教から見たロ─マとして伝えられてきた姿と違うものを知って大変勉強になった。ロ─マ社会がイケニエの風習を大層嫌っていた。キリスト教がイエスの血と肉を食べるということで頭から否定されていた様だ。このことは今でも他宗教の人から誤解を受ける。殊に日本ではそうではないだろうか?」H姉

 

「イエス様の活動された時代前後のロ─マの歴史・政治・生活などが少し理解できた。ポンテオ・ピラトのことも取り上げられていた。ユダヤ教・ユダヤ人についても書かれてあり、信仰を守ることについても考えさせられた。」Ia姉

 

「この『悪名高き皇帝たち』は皮肉を込めた悪名というのは歴史の教科書に載っている彼らのイメ─ジとは少し違った皇帝たちが描かれている。彼らは彼らなりに真摯に使命を果たそうとしていたが、5年も過ぎるとロ─マ市民はあきるのか次の元首を望むことになり、又この第一人者たちは周りで支えてくれる人達を浅はかにも失うと判断力を失った。その彼をロ─マ市民はチェックして皇帝暗殺が行なわれたりするということだろうか?」Ib姉

(2000年10月号)