「読書会ノート」 ミッチ・アルボム 『モリー先生との火曜日』 NHK出版

  ミッチ・アルボム 『モリー先生との火曜日』 NHK出版

石垣 通子

 

この本のカバーの裏には【『スポーツコラムニストとして活躍するミッチ・アルボムは、偶然テレビで大学時代の恩師の姿をみかける。モリー先生は、難病 ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されていた。16年ぶりの再会。モリーは幸せそうだった。動かなくなった体で人とふれあうことを楽しんでいる。「憐れむより、君が抱えている問題を話してくれないか」 モリーは、ミッチに毎週火曜日をくれた。死の床で行われる授業に教科書はない。テーマは『人生の意味について』】 と書かれている。

モリー先生はダンスなしでは夜も日も明けなかった。その彼に死の宣告は1994年の夏にやって来た。ダンスができなくなり、60才を超えて喘息になり、2、3年後には歩行障害が起き……。医者は余命2年と見ていた。モリーはそれ以下と考えていた。しかし、心の中には深く思い定めたものがあった。それを彼は、頭上に剣がぶら下がっているような状態で診察室から出てきたその日に練り始めた。希望をなくして消えていくか、それとも残された時間に最善を尽くすかと自分に問いかけていた。めげるものか。死ぬことは恥ずかしくなんかないんだ。死を人生最後のプロジェクト、生活の中心に据えよう。誰だっていずれは死ぬんだから、自分はかなりお役に立てるんじゃないか?研究対象になれる。人間教科書に。ゆっくりと辛抱強く死んでいく私を研究してほしい。私にどんなことが起こるかよく見てくれ。私に学べ。モリーは、生と死の架け橋を渡るその道すがらの話をしようと考えた。

そしてとうとう、11月 4日、愛された人たちがほんのいっときそばを離れている間にーー台所でコーヒーを急いで飲むため。昏睡後に誰も付き添っていなかったのはこれがはじめてーーモリーは呼吸を停止した。こうして彼は逝った。

モリー・シュワルツ教授から教えられたことを一つあげるとすれば、これである。人生に「手遅れ」というようなものはない。

訳者のあとがきには、次の様に書かれている。『モリーは、昔の教え子を相手に、自分をあわれむこと毛ほどもなく、ひたすら人生を語り、こころの通い合い、愛を教える。つまりは、いかに死ぬかを本を通じ、テレビを通じて、人びとに示すためだった。人びとは愛の大切さを頭で知っていても、ふだんの生活にはあらわせない。同じように、死を免れないことを頭では理解しながら、あたかも死ぬことがないような生活を送っている–どこに価値があるのかわからないまま。「いかに死ぬかを学ぶことは、いかに生きるかを学ぶことだ」。日本でも上智大学教授のアルフォンス・デーケン師が先頭に立って「死の準備」教育を推進していらっしゃる。その「死生学」のモットーがまさにこの言葉である。』

この本は、昨年 9月15日と12月31日にテレビで放映されましたので、ご覧になった方もおられるかもしれません。人はこのような病気でなくても、すべての人が死を最後のプロジェクトとして歩んでいきます。

このシリーズにはもう一冊『モリー先生の最終講義〈死ぬこと・生きること〉』という本があります。

(2001年 3月号)