「読書会ノート」 田山花袋『蒲団』

田山花袋『蒲団』

廣幸 朝子

 

こういう男の背中をこそ蹴りたい。ギュウギュウ踏みつけて蒲団蒸しにしたい、とさらにエスカレートする野上さん。それほどこの本の主人公は、愚かしく浅ましい。しかし、これほど遠慮会釈もなく赤裸々に男の本心を描いたからこそ、この本は世間に衝撃を与え、エポックメイキングの作品として文学史上に名を残すことになったのである。自然主義文学-田山花袋-『蒲団』という三点セットを学生時代に覚えさせられた人は多いだろう。この年になって始めてその中身を知った。

主人公の時雄は34、5才。この若さで(明治時代とはいえ)すでに人生に飽き、仕事にも、妻にも(三人目の子を宿している!)にも情熱を感じられないと言う。文学志望の若い娘芳子を自分の家に預かることになってにわかに活気を取り戻す。朝夕の食卓に若い娘の華やぎのあるのが嬉しい。夜帰宅したとき、疲れていぎたなく眠っている妻に代わって芳子が迎えてくれるのが嬉しい。しかし、芳子に恋人が出来て今度は嫉妬に苦しむことになる。芳子の帰りが遅いといらいらと家人に当たり散らし、食卓をひっくり返す。あげくには、恋人と体の関係をもったのではないかと疑心暗鬼になり、芳子の日記や手紙を盗見たりもする。しかし表面では新しい時代の男女関係にも理解のあるような顔をして、心配する親を芳子に替わって説得したりと、ますます悩ましいことになっていく。最後に、芳子は親に連れ戻され、残された芳子の蒲団にもぐって移り香をかぎながら時雄は泣く。

武士道といい、儒教といい、家長といい、そういう鎧を脱いだ男は、かくも弱く、哀しい。日本文学は初めて生身の人間を見たのだろうか。

(2004年9月号)