「読書会ノート」 遠藤周作『キリストの誕生』

 遠藤周作 『キリストの誕生』

松井 倫子

 

遠藤氏は『イエスの生涯』最終章で(1)弱虫だった弟子がなぜ強き使徒になれたか、なぜ弟子教団から神格化されたか(2)あまたの預言者グループのなかで弟子教団だけがなぜ存続しえたかの謎があるが、聖書学者がそれに手を触れようとしないと指摘、自ら取組み5年を経て『キリストの誕生』を出版された。聖書、歴史書、神学書等を駆使しその謎に迫り、時に聖書に“書けなかった”ことも推量しつつ、多くの事を明らかにされた。しかし最終章の題「イエスのふしぎさ…」が示す通り、ここでも“X”という言葉がでてくる。この遠藤氏渾身の作品を誤解を与えず僅かな字数で紹介することは私には不可能、ただ全文をよく読まれれば、遠藤氏の筆の力により、ついに“X”と書かざるをえなかった事柄も朧ながら感得することができる。皆、使徒信条、ニケア信条告白に関わる重大事でも所与のものとして目をつぶるが、遠藤氏は真面目な学究、敬虔なクリスチャン作家の資質を総動員し、勇気ある理詰めの証明をされ、解らないものには謙虚に「聖なるものを表記することは小説家にはできぬ」と“X”とされた。だれもそれを笑うことはできない。あとがきに、「書き終えて、正直、肩の荷をおろしたような気がする」と述べておられる。私は遠藤氏の説に大いに納得し聖書を身近に感じた。遠藤氏の洗礼名もポール、すばらしい伝道者であられた。こうして馳せ場を走り遠藤氏が天国で主にまみえた場景はどんなに美しいものだったろう。主の十字架と復活の季節にこの本に向かい合えたことを感謝し、ユダヤ教とローマ帝国、「キリストの不再臨」と「神の沈黙」に悩み苦しみ、尚絶望せず後世に信仰を伝えた聖徒たちを偲びたい。

(2005年 4月号)