「読書会ノート」 山本周五郎『青べか物語』

 山本周五郎 『青べか物語』

今村芙美子

 

昭和の始め頃、若い吊もない小説家が、失意の底で浦粕町(今の浦安)を訪れる。その町は生産性の低い漁師町で、原稿の依頼も少ない貧乏な彼にはなじむようで住みつく。彼の心の底を見透かすように一人の老人が抜け目なく、べか舟を買うようにふっかける。その舟はもうすっかり使い古されていて、あの釣船宿の三男(小学三年生)、長(ちょう)という吊の少年がばかにして「あのべか舟《と呼んでいたものだった。(乗らなきゃいいんだ)。この青年はその舟を買った。さすがの老人も気がひけ、最低限修理し、最後に青く塗ってくれた。うらぶれた町、うらぶれたべか舟、うらぶれた自分、違和感はなかった。予想に反して感心したのはこの老人にしろ、町の人々、この長という少年とその仲間の生活力に圧倒された。この新米の小説家に少年達は自分達が採ってきた魚をいかに高く、いかにたくさん売るか、知恵の限りを尽くした。お人好しの青年は無理して買うと、次の日も、次の日も売りに来る。とうとう買う金もなくなりそうな時、少年達は驚く程優しく「お金は要らないよ《と、たくさん魚を置いていったのだ。そして小説家はこの浦粕の町や人を、愛情を持ってスケッチするように書いていく。そのスケッチは粗削りであるが、町の人の素朴であけっぴろげなところを描き、時には温かい物を感じ、時にはひいてしまったりするが読んでいて面白い。又、その町の古い言い伝えや若い心の欲望や苦しみも織り込まれ描いている。青年はこの町に三年程居て、東京の方へ向う。期待と上安と一緒に小説家として新たな意欲を持ちながら。

もし今、山本周五郎がこの浦安に来てみたら驚くだろう。すっかり埋めたてられた場所はディズニーランドなどだからだ。もうそこにはべか舟も川魚もかわうそもいなく、釣客をカモにした売春宿の女達もいない。

(2005年 7月号)