説教「『神の愚かさ』に生かされて」 伊藤節彦神学生

マタイによる福音書28:16-20

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。

【起】

旧 約聖書には多くの預言者が登場致しますが、それぞれに特徴のあるメッセージを語りました。「義なる神」を説くアモスやミカ、「愛の神」を指し示すホセア、 そして「神は聖」なるお方であると語ったのがイザヤでありました。旧約の日課でお読み頂いた箇所では、「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」とあり、正にそ のことを示しております。この神の聖、聖さとは、対峙する者に畏怖の思いと自分の汚れを呼び覚まします。罪人に過ぎない自分が聖なる神の前にただ一人立つ 時、畏れが生じます。御前に立ち得ない罪を知るのです。それ故にイザヤは「災いだ、わたしは滅ぼされる」と畏れたのであります。

今日は三位一体主日であります。教会暦ではイエス様のご生涯を振り返るアドベントから昇天主日までの半年と、ペンテコステから始まる聖霊の働きである教会の半年に大きく分けられます。その丁度変わり目に三位一体主日が置かれているのです。

三 位一体という教理はキリスト教の要であり、正統と異端を区別する試金石であります。しかし、何十年信仰生活をしていても、たとえ神学を学んでさえも、三位 一体を口で説明するのはとても難しいのではないでしょうか。それもそのはずで三位一体は合理的説明を超えた体験的真理であるからなのです。ですから、説明 は出来なくても信仰生活の中で、実感として皆様も受け容れていらっしゃると思うのです。

ルターは小教理問答書の中で使徒信条を3つに分け て、父なる神の働きを創造、子なるキリストの働きを救い、そして聖霊の働きを聖化・きよめであると説明しました。ですからルターは使徒信条を要約して「私 は、私を造りたまいし父なる神を信じる。私は、私を贖いたまいし子なる神を信じる。私は、私を聖化したもう聖霊を信じる」と語り、ひとりの神とひとつの信 仰、けれども三つの位格であることが大切であることを示しました。

先週行われたペンテコステの祝会で八木久美さん達がゴスペルマイムを披露して下さいました。3名の方が異なる動きを示しながら一つのメッセージを表現しているその姿は、三位一体の神様の本質をよく表しているように私には思えました。

【承】

しかし、私達はやはり三位一体といっても、父と子については分かるような気がしますが、聖霊についてはよく分からないのではないでしょうか。

聖霊の働きを考える時に私が思い起こす、一つの短いけれどもとても深い詩があります。皆様もよくご存じの星野富弘さんの「美しく咲く」という詩です。

お読み致します。

美しく咲く
花の根本にも
みみずがいる
泥を喰って
泥を吐き出し
一生土を耕している
みみずがいる
きっといる

聖霊をみみずと一緒にするなんて、不謹慎極まりない気もするのですが、この詩を読んだ時に、ああ、そうなのかあ、という深い共感が与えられたのです。

星 野さんは土を掘り返してミミズを実際に見てこの詩を書いた訳ではありません。美しく咲いている花を見て、みみずがいる、きっといる、そう感じたのです。み みずは暗い土の中で、誰にも顧みられずに、かたい泥を食べてはそれを柔らかにし、有機的な土として吐き出します。ですからミミズのいる畑や花壇には良い土 が生まれ、そこでは豊かな実やきれいな花をつけることが出来るようになるのです。星野さんの感受性の鋭さは、目に見える花の美しさの中に、目に見えない土 の中に、みみずがいることを感じられるところにあります。

同じように、私達人間の心の暗闇の奥底で、聖霊が私達の頑なな心を少しずつ、しかし確実に打ち砕かれた魂へと変えて下さる。み言葉の種がそこで成長できるように、豊かなものへと造りかえて下さっていると思うのです。このことは私自身の実感として迫ってきます。

以 前に「むさしの便り」に書きましたように、私は18歳の時に一度、改革派の神学校に進む決意をしました。その当時の私の召命感は、自分は献身に相応しい者 だという自負心によるものでした。幼い頃に生死をさ迷う病気を患い、奇跡的に命をつなぐことが許された私は、自分は神様のご用のために生かされているのだ という思いで満たされていたのです。しかし、私の母教会の長老会は、そのような私の性急さや自負心に、ある種の傲慢さのようなものを感じたのでしょう。学 業を続け、更に社会経験を積んだ後でも遅くないという判断をしたのでした。当時の私は、なぜ献身したいという若者の心を鈍らせるのかと、その判断に不満を 抱いていました。

丁度同じ頃、私には寮生活を共にし、クラブも一緒だったある親友がいました。彼とは聖書についてもよく議論し、明け方まで 話し込んだことも何度もありました。彼は真剣にキリスト教の信仰を求めていました。私も彼に何とか、自分が信じている信仰を伝えようとしましたが、理性的 な信仰理解にこだわる彼には、その決断がつかないままにお互い卒業を迎えることとなり、連絡が途切れてしまいました。その彼が卒業後、数ヶ月して自ら命を 絶ったのです。遺書も残されておらず、彼が死を選んだその理由は未だに分かりません。ですから友人達だけでなくご遺族に至っては、悲しみと未解決なまま残 された罪責感の二重の苦しみを負うことになりました。私自身この出来事を通じて、自分は一体彼の側にいながら、彼の心をどれだけ理解していたのだろう。親 友の一人にも福音を伝えきれなかった自分が、献身するということはおこがましすぎる、自分はそのような器ではないのだ、そのように自分を責め、自分自身を 裁いてきたのです。そのことがあってから、もう一度自分自身の信仰を見つめ直したいという思いが強くなり、母教会を離れ色々な教会を訪ねる中で、ルーテル 教会との出会いが与えられたのでした。ルターの語る「義人にして同時に罪人」は、50%義人で50%がまだ罪人であると言うことではなく、100%義人に して100%同時に罪人であるという一見矛盾と思われる真理の中に、救いとは全く神様の業であるという恵みが語られているのです。その恵みを私はルーテル 教会で知ることが出来たのでした。

【転】

さて、マタイ福音書の28章は大宣教命令で知られている箇所であります。 19節の「あなた方は行って、全ての民を私の弟子にしなさい」という言葉は大きな力で、この二千年間、福音宣教を推し進める原動力となってきました。日本 に宣教に来たフランシスコ・ザビエルもその一人だったのです。しかし、マタイはこの大宣教命令を自らの福音書を閉じるために華々しく飾りませんでした。こ の主イエスの命令の光と共に、弟子達の不信仰の闇をも描いているのです。

マタイは16節の出だしを「さて、十一人の弟子達は」と書き始めま す。弟子達が登場するのは久しぶりのことなのです。そう、あのゲッセマネでの主イエスの捕縛以後、弟子達はちりぢりに逃げてしまっていたからです。そして この長かった数日の間に、ユダは自殺し、ペトロが裏切り、弟子達は逃げ去り、主イエスは十字架に架かって死んでしまわれたのです。ですから、この十一人の 弟子達という表現には、実に言いがたい敗北感が漂っているように思えます。しかし、マタイはそのような十一人をただの挫折者として、この場に再び登場させ たのではないのです。10節には復活の主イエスが女性達に現れてこう告げるのです。「恐れることはない。行って、私の兄弟達にガリラヤへ行くように言いな さい。そこで私に会うことになる。」

ここで主イエスは弟子達を私の兄弟と呼ばれるのです。この言葉の中に、既に弟子達の裏切りや不信仰に対 する赦しが与えられていることが分かります。しかし、尚も17節には弟子達は「イエスに会い、ひれ伏した、しかし疑う者もいた」とあるのです。この疑うと いう言葉は、信じたい気持ちと信じられないでいる気持ちの狭間で揺れ動き心が二つに裂かれる状態を表しています。同じ言葉はもう一箇所、マタイ14章で用 いられています。あのペトロが水の上を歩いて途中で溺れそうになる場面です。強い風に恐くなって主イエスのみ言葉への信頼を失いかけた、あのペトロの迷い が、今ここで弟子達を襲っているのです。しかし、溺れそうになったペトロに、主イエスが自ら近寄り手を差し伸べて下さったように、今ここでも、主イエスが 自ら弟子達に近寄ってこられてみ言葉を語られるのです。

18節で主イエスは、弟子達に近寄って来て言われます。「わたしは天と地の一切の権 能を授かっている」。ここで権能と訳されている言葉は、主イエスが宣教を始められた最初にサタンから受けた三つの誘惑の一つに出て来る、「もしひれ伏して 拝むなら、この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう」(ルカ4:6)、ここで使われている権力という言葉と同じものです。主イエスのご生涯はこのサタンの 誘惑との闘いの連続であったといえましょう。王のような権力があれば、福音宣教はたやすく行うことができたでしょうし、貧しい者や病気の者を多く助けるこ とができたことでしょう。そして弟子達を始めイスラエルの人々はそのようなメシアを待ち望んでいたのでした。しかし、主イエスはこの権力・権能をサタンか らではなく、父なる神から十字架という神の御旨に従うことで与えられたのです。

中国の諺に「嚢中の錐」というのがございます。嚢とは袋のこ とですから、袋の中に穂先が鋭い錐を入れておけば、袋を破ってしまいます。そのことから、才能のある者はたちまち外に現れてくるという意味の諺です。しか し、この言葉を北森嘉蔵先生は神様と私達の関係になぞらえて次のように語るのです。人間を愛したもう神様は手まりを包む袋のように私達を包もうとして下さ る。しかし錐のように、触れるものを傷つける罪を持っている私達はその袋を突き破ってしまう。そこに破れが、傷が、そして痛みが生まれる。これこそが十字 架なのである。そう語るのです。

三位一体の神様とはこのようなお方なのです。父なる神は、私達を創造したまま放っておかれない。命を与えて 下さったお方は、その命をこよなく愛され、滅びることをお許しにならないのです。だからこそ御子が十字架を担われたのです。聖霊が私達の心を打ち砕き、き よめ、命の道へと導いて下さるのです。

【結】

パウロは「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、 私達救われる者には神の力です」(Ⅰコリ1:18)と語り、更に「神は宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」(Ⅰコリ 1:21)とさえ語るのです。十字架は躓きであり最も愚かなものの象徴であります。この愚かさを神の子キリストが生きて下さったのです。それは他でもない 自分を裏切ったペトロを始めとする弟子達のためであります。そしてその中には、陰府にまで下られた主イエスはユダにまでその福音を伝えて来たと思うのであ ります。ですからマタイが十一人と書いたその理由は、脱落者を暗示する敗北感からではなく、そこにいないもう一人の弟子さえ含めて私の兄弟と呼びたもう主 イエスの愛を伝えんがためだったと思うのです。そのような主イエスだからこそ、十二人目の弟子として、兄弟として、皆様方を、そしてこのような私をも召し 出して下さったのです。最初の献身を志した18から神学校に入学した44歳までの26年間、聖霊なる神は私の傲慢さで堅くなった魂の泥を食べ続けて下さ り、改めてその召しだしの御声に聴き従う、打ち砕かれた心をお与え下さったのです。また親友に福音を伝えられなかったと自分を責める私に、救いは主イエス 御自身がもたらして下さるものであることが改めて示されたのです。

弟子達はガリラヤへ帰ることで主イエスとの再会を果たしました。弟子達に とってガリラヤとは自分たちの故郷であり生活の場でありました。しかしそれ以上に、主イエスとの出会いの場、召命の場であったのです。復活の主イエスが、 ガリラヤへ彼らを招いたのは感傷に浸るためではなく、その原点へと弟子達を立たせるためであったのです。私達にとってのガリラヤとはどこでありましょう か? それは洗礼の恵みであります。私達は、洗礼によってキリストと共に十字架に死に、そしてキリストの復活に与るものとして新しい命が与えられたので す。私達は一人一人このことの証人なのであります。

私達は弟子達と同じようにひれ伏しながらも疑う者であり続けることでしょう。しかし、そのような私をご自分の者として下さった洗礼の恵みの許で、主イエス御自身が再び近寄って来て下さるのです。

イ ザヤを召し出した聖なる神は、「誰を遣わすべきか、誰が我々に代わっていくだろうか」と語られます。その権威と権能において天と地の全てを治められる全能 の神様、何でもご自身でお出来になる方が、その働きを汚れた唇の者であるイザヤに託すのであります。ここに神様の不思議があります。宣教という愚かさを もって、その恵みを伝えようとされる神様の深い憐れみがあるのです。パウロはこのような神様の愛を、「神の愚かさ」と語りました。その神の愚かさに私達は 生かされているのです。愚かと言われるほどの神様の憐れみに与った私達は、その恵みの喜びを伝える者とされていくのであります。破れたまま、未解決なもの を抱えたままのこの私を、神様がイザヤを立てたように、聖霊を注いで立てて下さるのです。

「あなた方は行って、すべての民を私の弟子としなさい」

この大宣教命令は、私達の破れをも包みたもう神の恵み、この恵みを一人でも多くの私達の隣人に伝えなさいという主の命令であります。そしてこのみ言葉には、主イエスが世の終わりまで「インマヌエル いつもあなた方と共にいる」という確かな約束が与えられているのです。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2011年6月19日 三位一体主日礼拝説教)