むさしのだより「井戸端の戸」 宇宙大のドラマ

ある冬の晩、ふと懐かしい雰囲気の喫茶店を見つけて入った。ゆったりした音楽に包まれ、心が癒されるようだった(ベートーベン「田園」第5楽章と後で分かった)。その夜、思いを巡らせた。この地球が滅びても、あの音楽の調べは永遠だ。さらに思った。僕らの生きている一瞬一瞬は過ぎ去るものだけれど、それらは宇宙という超大作ドラマの一つ一つの場面として不可欠であり永遠に記憶されるものではないか、と。

ヨブ記を最近読み返した。ヨブは自分を襲った悲惨の中で死を望むが、それ以上に理不尽に憤り、神の前に申し立てをしたいと切に願う。沈黙の神は最後の場面で登場し、ヨブの日常体験を遥かに超えた創造の業を見せつける。それは納得の行く直接的な答えというものではない。きっと如何なる答えも、ヨブの友人たちの答えのように、辻褄合わせであっても事の本質に迫るものではないだろう。僕らの悩み苦しみは其処だけ見つめても答えは見い出されない。が、それらは壮大なドラマの中のちっぽけな、しかし不可欠な要素としてある(そして実は神は細部まで配慮を行き届かせている)、それ気づけと言っているのかも知れない。

(い)
 (たより2007年9月号)