「W杯メキシコチーム同行記」 室岡明子

世界の各大陸の代表が集った、日韓共催のワールドカップが6月30日に熱戦の幕を閉じました。1ヶ月間の俄かサッカーファンになった方も多かったのではないでしょうか。チケット入手が困難な中、むさしの教会の一メンバーが、メキシコ代表チームと行動を共にし、間近に観戦する貴重な体験をしました。

 

サッカーW杯・メキシコチーム同行記     室岡明子

 

選手、役員、コーチ陣、スタッフあわせ45人ほどの一行と、私たちリエゾン(通訳3人、福井県警2人、警備担当通訳=私)の25日間の旅が始まった。私の担当は選手・チームのセキュリティ・警察に関すること全般で、他の通訳の方には通訳兼添乗員のような、膨大な仕事が待っていた。

 

早々問題になったことがあった。移動時、必ずチームバスの前後にパトカーがつくが、あまりにもスピードが遅すぎるという。ある時、安全確保の名目で時速40キロで走っていたのは確かに遅かった。「何だあの前の車は。追い越せ!」メキシコや他の国では信号も全部青にして一般道路でも100キロくらい出すという。散々みんなから文句を言われ、同行警察官も対応せざるを得なくなった。おかげで、後半の方は快適なスピードで旅をすることができた。

 

全日程のスケジュールは予め固まっていたが、チームの意向で前日に急きょ変更、は当たり前だった。大きな移動も直前に変えられることもあり、何が起こっても動じない図太さ、柔軟性が必要だと感じた。

 

キャンプ地福井県三国町は車がなければどこにも行けない地だが、ホテルの目の前がスタジアムという、練習には絶好の場所だった。5月中は1日2~4時間の練習を淡々とこなした。親善試合などのイベントもマスコミの注目度はイマイチで、静かな日々だった。それが、外出禁止のない、選手以外の人たちには少し退屈だったようで、車で1時間もかかる福井市のショッピングセンターに毎日のように出かけては電化製品などを買ってきた。私も数回付き合ったが、何度行っても飽き足りないようだった。

 

メキシコ人は皆、陽気で親しみやすい。選手たちも会えば必ず挨拶するし、ちょっとした会話も交わしてくれた。リエゾンといえども同じホテルには泊まれないチームもある中で、私たちはどこに行くにも一緒、共にW杯を戦っているんだ、という気持ちも強まった。

 

練習風景は微笑ましかった。練習前にやる遊びがあるが、輪の中にいる人間が、外側で回っているボールを20数えるうちに取れないと、皆からはがいじめにされる。それが何とも楽しげなのだ。シュートが決まると喜びのあまり奇声を上げる選手もいた。

 

いつもはリラックスムードなメキシコチーム。だが、ここ一番というところではものすごく気合が入る。そのギャップが良かった。練習の時は分からなかったが、試合になると俄然動きが良くなる選手がいて、びっくりさせられた。また、決勝トーナメント進出をかけたイタリア戦に出発する時のこと、よっぽどミーティングで気合を入れたのだろう、皆、泣き出しそうなほど気迫のこもった顔で姿を現したのが印象的だった。1人ひとりが英雄だった。日本では幸いにして負けることがなく、思わぬ快進撃に私たちの喜びも大きかった。

 

代表チームにはいつもメキシコのマスコミがついて回り、チャーター機にも必ず20人ほどが同乗した。練習後のインタビューも執拗で最初はどうかと思ったが、14時間の時差の関係で、昼夜問わずの激務を続ける彼らに最後は脱帽した。

 

多くの人に出会い、素晴しい仲間に恵まれ、沢山学ばせていただいた。メキシコ人の持つ心の優しさに、はっとさせられることもあった。選手宛の恋人からのメッセージや、監督宛の電話を取り次いだこともあった。全ていい思い出だ。最後の数日は体調を崩してしまったが、周りに心配をかけながらも、何とか最後まで守られた。神様と、祈りで支えて下さった皆様に感謝、有難うございました。このビッグイベントが、韓国と日本の絆を深めつつ、無事閉幕を迎えつつあることも、嬉しい限りです。

 

追記:メキシコチームはベスト16に入る健闘を見せた。惜しみない拍手を送りたい。(大柴記)